連載10 メインテーマを決める意義。(コンセンサス作り、表現者としての責任)



【座付き作家からの質問】

 
 当ブログで連載されていた小松式演技論を読むと、小松Pがいかに物語のテーマやメッセージ性に強いこだわりを持っているかがわかります。
 
 以前の連載と重複してしまうかもしれませんが、なぜ、物語のテーマはそれほど重要なのでしょうか? 

 また、実際の演技作りにおいて、テーマはどのような役割を果たすのでしょうか?



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【小松愛の回答】

 テーマなんて考えるだけ無駄という主張もあります。確かに、観客の感受性に強制的なバイアスを掛ける気はありませんし、観客は感じるままに作品を受け止めれば良いと思っています。
 観客が主体的に感じとったメッセージが、作り手の考えたテーマとリンクすれば嬉しく思いますが。

 
 ただ、表現をする側は、自分がどういうメッセージを発しているのかをしっかり自覚するべきだと思います。私は表現芸術を特殊なものに崇め奉るつもりはありませんし、あくまで「社会の中の演劇」「社会の中の映画」であるべきだと考えています。そこには当然、社会的な責任が付随してきます。何を発信しているのか無自覚な俳優は社会的責任を放棄していると思うのです。


 極論と言われるかもしれませんが、私自身は戦争を賛美するような作品には出演したくありませんし、自分自身が作品に対して責任を持つためにも、テーマは本当に大事だと思っています。

 
 実際の演技作りにおいてですが、脚本の解釈は人それぞれなので、もしテーマの解釈が演出家とズレていたら、その後の細かな演技プランにおいてもズレが生じてしまう可能性があります。

 
 例えば、童話「シンデレラ」のメインテーマを「諦めなければ、夢を手に入れることはできる」と解釈するのと、「神様が願いを叶えてくれるから、焦らなくてもいいんだよ」と解釈するのでは、主人公が能動的な人なのか、受動的な人なのか変わってきます。

 
 「貧乏でも心の豊かさが大事」とすれば道徳的な印象を与えるような演技プランを出しますし、「世の中を渡っていくには、お金が大事」と解釈するなら、ガラスの靴をわざと、シンデレラが置いていくなど、シニカルな演技プランを採用することになるかもしれません。

 
 メインテーマの解釈が違えば、キャラクター性や演技プランに違いが出てきて、思わぬトラブルに発展したり、ズレを修正するのに時間がかかってしまうもあるので、テーマという大きな括りで、まずは演出家とコンセンサスを作る必要があると思います。


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【座付き作家からのコメント】

 テーマ論を観客視点と表現者視点に区別し、それぞれの違いを指し示した部分に大変興味をひかれました。

 確かに、お客様がその作品のテーマをどう受け止めるかは全くの白紙であり、完全なる自由。そのことを前提とした上で、なおかつ表現者として「作品のテーマに責任を持ちたい」という小松Pの姿勢は素晴らしいと思います。私も見習いたいです。
 
 あと、『シンデレラ』の例え話も、わかりやすくて面白かったです。


連載9 シナリオ解析の大まかな流れ。


【座付き作家からの質問】



 ここからはいよいよ各論と申しますか、シナリオ解析の具体的なテクニックに話を進めていきます。が、その前にもう少し全体を俯瞰しておきましょう。その方が、この先、迷子になるリスクを少なくできるでしょうから……。
 
 理想現実式シナリオ解析は、大まかにいって以下の流れで進んでいきます。それぞれの項目に、小松愛流の補足説明をつけて下さい。

 
  1、テーマ探し。

  2、構成の把握。
  
  3、キャラクター解析。
  
  4、各場面の解析。



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【小松愛の回答】


 まず、テーマ主義者である私にとって、テーマに共感できるかは、出演するか否かを決める大事なポイントになります。演出家の方向性を把握するためにも、テーマが何なのか大きな意味でのコンセプトを掴んでおくことも大切です。

 次に、構成の把握ですが、シナリオは構成の集合体ですから脚本家が辿った計算を役者も知っておくことで、ストーリラインを的確に捉えることができます。必ずしも3幕構成で書かれたシナリオばかりとは限りませんが、何が、どうして、どうなったか、という流れを演出家と詰めておくことで、解釈のズレを減らすことになります。

 この構成の大枠を掴む過程で、キャラクターの役割やコンセプトが分かってきます。シナリオから、自分が演じる役がどういう人物なのかを拾い上げていきます。演出家のイメージをより正確に理解するためにも重要ですし、自分の役についてアイディアを演出家に提案するのもヒトツの醍醐味かもしれません。

 各場面の解析は、シーンに関わるものの意味をきちんと理解しておく作業です。演出家のイメージを的確に理解するため、現場で急な変更があっても矛盾が出ないようにするため、場面の意味や意図を自分でも解析しておきます。

 絶対に1から4の順番じゃなきゃいけない訳ではありませんが、私がこれから勉強するシナリオ解析では、このような流れに沿って進めていきます。



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【座付き作家からのコメント】


 論理的な説明をありがとうございます。
 演出家や脚本家の場合、これとは違う手順を踏むこともままありますが、役者にとっては使い勝手の良いフローチャートだと思います。


連載8 既存の解析メソッドについて。(ウェストン、カタン、シガー、フィールド)


【座付き作家からの質問】



 シナリオ解析といえば、カタン著『ストーリーアナリスト』や、ウェストン著『演技のインターレッスン』などの書籍を思い浮かべる方も多いと思います。

 また、リンダ・シガーやシド・フィールドらの提唱するライティングメソッドも、シナリオ解析を進める上で大いなるヒントになるでしょう。

 そのような既存のテクニックと、これから小松愛が語ろうとしている解析術とでは、どのような違いがあるのでしょうか?
 
 


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【小松愛の回答】
 

 ストーリーアナリストが行うシナリオ解析は、ヒットするかヒットしないかを見極めるもので、誰がやっても、ある程度同じ結論になるというものです。ハリウッドは分業制だったため、シナリオ理論というものが生まれたそうですが、邦画界は我流の徒弟制度を取っていたため全体としてのメソッドがなかったようです。
 
 
 リンダ・シガーやシド・フィールドらのライティングメソッドは、自分が書いたシナリオをリライトするため、レベルアップさせるための自己チェックみたいな要素が多いと思います。
 

 ウェストンのシナリオ解析は演出家が演出プランを考えるためのものです。情報を整理し、現場をどう回していくかということまで含めて、アイディアを出しやすくしていく作業です。
 
 
 それぞれシナリオ解析という言葉を使いますし、取り入れている部分もありますが、私が勉強しているのは、役者が演出家とコンセンサスを築くためのものです。

 キャラクターの解釈やシーンの方向性が演出家の解釈とズレていると、作品としての統一感が損なわれたり、トラブルになったりする可能性があります。事前に情報を整理し、現場でしっかり演出家と話し合える状態になっておくために行います。

 演出家やシナリオライターが行う難解な解析に比べると、極々シンプルなものだと思いますし、演出家とのコミュニケーションツールのヒトツ、共通言語を築くための作業とも言えると思います。

 
 今はまだ、座付き作家の猪本から教わるばかりですが、最終的には自分なりのシナリオ解析術を確立する予定です。


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【座付き作家からのコメント】

 
 脚本家のため、監督(演出家)のため、プロデューサー(制作会社)のための脚本分析法は数あれど、小松愛はあくまで俳優のための──、すなわち『創作の現場で俳優が迷子にならないための』シナリオ解析術を模索中ということですね。

 
 諸先輩方の卓越したメソッドを参考にしつつも、単にそれらを金科玉条とするのではなく、自分なりのアイデアも加味しながら、誰よりもシナリオを読み込める女優を目指して下さい。目指せ、守破離!


連載7  演出家による脚本解析と役者による脚本解析の違い


【座付き作家からの質問】


 シナリオ解析と聞くと、演出家やストーリーアナリストの職域という印象があります。
 役者は、演出家の解析したデータを受け取り、それを具現化すれば良いという主張もありうるでしょう。

 しかし、小松愛は「役者もシナリオ解析に挑むべきだ」と考えている……。そう考える理由を教えて下さい。



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【小松愛の回答】


 演出家と対等に話ができる状態になっておくためです。

 
 確かに基本的には解析は演出家がしてくるものですが、演出家から作品解釈の説明を受けて、問題がなければOKというのと、脚本を読み込んで自分自身の解釈をまとめてから、説明を受けるのでは理解度も変わってきます。

 
 自分の作品解釈を出した上で、演出家の作品解釈とズレていないか確認したり、ズレを埋めたり、疑問点を率直に話し合っておいた方が、後のトラブルも防げます。演出家と解釈をしっかり合わせておけば、何を表現するかということで悩む必要はなくなります。あとは、どう表現するかを考えたり、相談したりすればいいわけです。


 役者は、作品と自分の役について、自分の役と他の役の関係性について考えてくれば良いわけですが、演出家は、全部の役の解析、稽古場をどう回していくかや、役者以外の分野での演出効果についても考えなければいけません(・・・本当に大変ですね。)


 極端な例ですが、演出家は「友情」をテーマに全体のプランを考えて作っていたのに、一人の役者だけがテーマは「恋愛」だと勘違いしていたら、違和感が出てしまいます。


 シナリオ解析を役者がしていなくても問題がなかったということはあるとは思いますが、脚本を一読しただけでは、なかなか気が付かないこともたくさんあります。私なんかは、まだまだ読み取れていないことの方が多いくらいです。



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【座付き作家からのコメント】


 演出家のイメージをより深く理解するため、さらには演技プランについて演出家と効率良く話し合えるようにするために小松Pはシナリオ解析に挑むわけですね。なるほど、よくわかりました。準備できることはすべてやっておく──、小松愛のそういう積極的な姿勢を私も見習いたいと思います。


連載6 脚本解析とは何か? 何のためにあるのか?



【座付き作家からの質問】

  
 映画用語ということもあり、“シナリオ解析”という言葉を演劇界で耳にする機会はさほど多くありません。当ブログの読者の中にも、「シナリオ解析? 聞いたことないなぁ」と首を傾げている方々が少なからずいらっしゃると思います。


 そこで、まずはシナリオ解析の概論を教えて下さい。一体どういうもので、何のためにあるのか、小松愛なりの視点で語って頂ければと思います。



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【小松愛の回答】

 映画用語という話がありましたが、ハリウッドでは、まずはストーリアナリストという職業の人がシナリオを読み、シナリオ解析をして商品としての価値を評価分析し企画書にするんだそうです。プロデューサーは企画書を読んで、面白いとか、ヒットすると思ったシナリオだけに目を通し、映画化を検討するわけです。プロデューサーが大量に持ち込まれるシナリオ全てを読むのは難しいからだそうです。


 始まりはハリウッドのストーリアナリストですが、他にも演出家がどういう風に演出していくか考えるための解析もあれば、シナリオライターがリライトするために使う解析もあって、誰が何のために使うかによって色々なシナリオ解析方法があります。

 
 他の解析と共通するところもありますけど、私が今、勉強しているのは、役者が使うためのシナリオ解析です。この解析では、脚本をどう解釈するかということを考えていきます。

 
 解釈は読む人によって変わるものなので、化学的に成分を調べて結果を出すのとは違うのが難しいところかもしれません。ただ、イメージとしては脚本という長い文章を敢えて、細かく分解して調べていくような、地道な作業だと思います。調べる項目も色々あります。


 演出家の解釈とズレがないかを確認するためにも、解析をして、まずは自分の解釈をまとめておく必要があります。ズレがないか確認せずに、後になって「こんな作品だったとは!?」と、思わぬ事態に陥ることのないよう、自分の身を守るためにも必要な作業だと思っています。



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【座付き作家からのコメント】
 

 解析する人の立場によって、シナリオ解析の方法論には様々な差異が生じます。その違いをきちんと理解した上で、小松愛独自の解析メソッドを構築してもらいたいです。


連載5 これまで脚本とどう付き合ってきたか掘瞥想現実時代)


【座付き作家からの質問】


 理想現実を旗揚げした小松愛は、プロデューサーとして創作の最高決定権を持つようになり、脚本創りにも積極的に参加するようになります。
 
 そして、座付き作家である猪本のナビゲートを受けながら、『DeepSummerTreasure』 『横濱荘狂想曲』『高き霧の壁』と、3つの脚本を世に送り出しました。理想現実で脚本会議に参加するようになったことで、脚本に対する印象や立ち位置に何か変化はありましたか?

 

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【小松愛の回答】


 とても大きな変化がありました。

 表現したいことがあるから、そのテーマを折り込んだ脚本を作り、公演を打つという基本的なスタンスをしっかりと持つことが出来ました。

 私が関わってきたのは、組織を存続させるために公演を打っている団体で、脚本が書きあがらないのは、本当に表現したいことなんてないからだったのだと思います。

 理想現実を旗揚げし、本当の意味で表現と向き合うことができました。

 理想現実を始める前に比べたら、脚本を「読み解く」という言い方が、しっくりくるかかもしれません。

 きちんと練られた脚本は、緻密な計算から成り立っていますが、そうじゃない脚本も世の中には沢山あるなんてことも分かってきます。

 脚本を読み解き、演技プランを考え演じる、そういった作業が役者の仕事ですから、何においても脚本が土台となってきます。

 脚本の構成を勉強すると(まだまだ勉強中ですが)、脚本が最後までない状態で練習をすることの無意味さを痛感しました。ただ読んで、感覚で演じることが非常に表面的でしかないこともよく分かりました。


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【座付き作家からの返信】


 物語の全体像(構造)を計算に入れた上で、なおかつ前説や先読みにならないような演技をシーン毎に見せてもらえたら、脚本担当の私としては大変嬉しいです。ある意味、座付き作家冥利に尽きます。

 脚本を読み解く技術をどんどん勉強し、最終的に小松Pには“シナリオ解析マスター”の称号を手に入れてもらいたいです。

 


 


連載4 これまで脚本とどう付き合ってきたか供並膤愀犖Α曽劇場)


【座付き作家からの質問】



  (前回の記事にあったように)高校自体は作・演出にも手を染めていた小松愛。
 しかし大学に進んでからは、役者としてのみ演劇に関わるようになりました。
 
  役者一本になったことで、脚本との付き合い方も変わりましたか? その頃は、どんな風に脚本と格闘していましたか?


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【小松愛の回答】


 数えてみたら大学時代と卒業後の2年の計6年間で、8つの団体で23作品に出演していました。
 ただ、今のように脚本を使って演技プランを考えるということはせず、というか知らず・・・。台詞を覚え、動きを決めるという感覚的な表現をしていました。なので、やっぱり中学・高校演劇部の延長でしかなかったと思います。
 

 練習と本番で、それなりに忙しい日々を過ごし、自分は好きなことをやっている、何かを表現しているんだという錯覚に陥っていました。まさにモラトリアム。


 そんな未熟者だった私は、主に人間関係や感覚で出演先を決めていて、稽古が始まっても脚本が完成していないことが殆どでした。

 
 私が関わってきた劇団やユニットは、主宰が脚本と演出を兼ねているところばかりで、作・演出が脚本執筆のため稽古場に来ないことも多々ありました。そんな状態でも、作・演出が一生懸命書いているのだから、良い脚本が出来るはず、それを信じて今ある脚本部分だけでも、しっかり練習しようと考えていました。少しずつ脚本が配られていき、突貫工事のように台詞を覚え、動きをつけ、なんとか本番までに間に合わせるような状態でした。

 

 質問にそのまま答えるなら、「脚本がない状態と格闘していた」というところでしょうか。既成の脚本を上演していた中学・高校時代に比べたら脚本との付き合い方は後退していると言ってもいいですね。再演を除き、稽古開始前に脚本を用意していた団体も1つありましたが、結局、表現について真剣に考えたり、演技の勉強をしたりしていなかったので、今のように有効に脚本を使うことはありませんでした。



 この時代については、本当に反省しかありません・・・自分にとっての暗黒時代です。表現者としてまだ目覚めていない盲目状態で「脚本を読めてなかった」なんて言い方もできるかも知れません。



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【座付き作家からのコメント】


一読し、「反省文、提出!」みたいな勢いを感じました。

右も左もわからないまま小劇界に飛び込み、ただただ目の前のことに一生懸命だった当時の小松愛を非難する気は毛頭ありません。

大切なのは、過去の反省から学んだことを、いかにして今後の成長へ繋げていくかということ。期待しています。


連載3 これまで脚本とどう付き合ってきたか(中学演劇部〜高校演劇部)


【 座付き作家からの質問】



 小松愛が役者業に踏み出したのは、中学時代の演劇部と聞いています。その頃は図書館にあった戯曲を演じていたとか。

 また、高校演劇部時代は、自ら脚本を書いて演出もされていたはずです。

 中学〜高校時代の小松愛にとって、脚本はどのようなものでしたか? 
 その頃は脚本とどういう風に付き合っていましたか?

 

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【小松愛の回答】


 中学生時代は、地区大会や文化祭などで上演する脚本を、学校や市の図書館にある学生用の脚本集などから脚本を選んで公演をしていました。みんなで脚本を探してきて読み比べて、多数決で上演する作品を決めていたように思います。中学の時に読んでいたのは童話や昔話なんかも入っている古い本が多かったですね。


 その脚本をどのように使っていたかというと、自分や他の人の台詞を覚えて、最初に読んだ時の印象をそのまま感覚で演じていたというレベルでしかありません。演出というのもなく、みんなでワイワイやっていました。


 
 高校の最初の頃は、当時やっていた劇団の脚本や、中学に比べると少し新しい作品が載っている本から選ぶことが多かったように思います。使う図書館や本屋さんが広がったこと、演劇部の先輩の好みなんだと思います。

 先輩が演出をやっていましたが、結局はみんなで作っていたような気がします。

 自分が上級生になると創作で脚本を書いてみたりもしましたが、脚本の勉強をしたわけでもありませんし、今思うと本当にお遊びレベルです。高校時代は演劇を色々観にいっていましたから、好きな劇団の影響を受けていたと思います。

 お恥ずかしながら、当時は脚本の読み方や、演出論、演技論などを自分から勉強しようという意識もなく、小道具や照明、舞台セットや衣装も自分たちで作ったり、探したりだったので、そういう作業をみんなで一緒にやることを楽しんでいてる日々を送っていました。



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【座付き作家からのコメント】


 そういえば、高校時代に小松Pが書いていた台本を、その当時私も読ませてもらいましたね。独特な雰囲気があって、なかなか興味深かったです。

 


連載2 小松愛が魅力を感じる脚本、出演したくなる脚本とは?


【座付き作家からの質問】


  「オファーがあった時は、必ず脚本を読んでから出演するか否かを決める」──、役
 者・小松愛の変わらぬ主張です。それはつまり、表現者として作品に責任を負おうとす
 る決意表明であり、とても誠実な態度だと私は感じています。


  では、そんな小松愛が、「こういう作品だったら出演したい」と感じる脚本はどのよう
 なものなのでしょうか?


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【小松愛の回答】


 私が面白いと感じるのは、テーマがあって共感できる、または新しい価値観を与えてくれる、魅力的なキャラクターがいる、エンターテイメント性が高い、というような要素を含んだ作品です。


 社会派でもファンタジーでも、ジャンルに対しての強い拘りはないのですが、こういう要素がきちんと入っている作品に出演できたら素敵です。
 

 テーマやメッセージは要らないという考え方もあるようですが、私にとっては脚本を読んで、何を訴えたい作品なのか、きちんと分かって共感できるかというのが特に大事なことです。私はかなり単純なので、主人公がメッセージを発していて、それを応援したくなるような作品が特に好きみたいです。
 
 
 なので、難解で何を表現したいのか分からないとか、ストーリーが凡庸、単調、矛盾があるといった脚本には魅力を感じません。出演したくなる脚本という質問からは、少しそれてしまうかもしれませんが、漫画や小説が原作の作品を舞台や映画にする場合は、映像や舞台でこそ表現する意味や価値を持てる作品であってほしいです。


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【座付き作家からのコメント】


なるほど、よくわかりました。
確かなメッセージ性があり、それを物語るキャラクターたちが求心力に溢れていて、一瞬たりとも観る者を飽きさせない脚本──、自分も作家としてそういう作品を目指したいです。


連載1 脚本の大切さ、重要性を小松愛はこう考える


【座付き作家からの質問】


 演劇の三要素といえば、『役者/観客/脚本』──。もっとも、即興劇の存在を視野に入れ、『役者/観客/舞台空間』という説を唱える方も少なくないようです。

 どちらにしろ“脚本”というものが芝居創りにおける大きなファクターであることに変わりはないでしょう。

 これが映画となれば、シナリオはさらに頼れる相棒……と申しますか、必要不可欠な要素になると感じています。映画とは構成の妙技であり、その構成を下支えしているのがシナリオですからね。
 
 小松愛さんにとって、脚本(シナリオ)とはどういう価値を持つものですか?



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【小松愛の回答】

 脚本は作品が表現するものの根幹に値すると思っています。脚本だけとは言えませんが、脚本が変われば表現するものが大幅に変わってきますから。

 そして役者小松愛にとっては、出演を決める際に最も重要な判断材料という価値があります。絶対に面白いから!と言葉だけでオファーされても、どんな内容なのか分からないのに演じることは出来ません。脚本を読ませてもらうに限ります。論より証拠じゃないですけど、テーマに共感できるかを確認したり、どんな作品にするのか脚本を読んだ上で演出家と話し合うためにも、脚本はなくてはなりません。

 それから実際に演じる際には、脚本のテーマやストーリーの構成から、シーンの意味やキャラクターの役割を考えて演技プランを作ります。冒頭のシーンを作るためには、そのシーンの台詞やト書きだけがあれば良いわけではありません。他のシーンとの対比や登場人物との関係性を考えなくてはいけませんから、作品づくりにおいて脚本は土台や設計図だと考えています。

 あと、つまらない脚本は、どんなに役者が頑張っても面白くすることは出来ないとよく言われますが、本当にそうだと思います。お客さんにウケたとしても、それは役者のスタンドプレー。脚本は作品の善し悪しを決める一番大事なものだと思います。



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【座付き作家からコメント】


 表現者として、「どういう物語の、どういう役を演じるのか?」という点に責任を持とうとしている小松Pらしいお返事でした。

 「出演できればなんでもいい」みたいな“焦り”を役者さんが抱くこともわからなくはないのですが、観客に対して何かを投げ掛ける立場にある以上、「役者として、自分がどういうメッセージの一翼を担っているのか?」を、常に自覚してもらいたいと私も願っています。そういう意味で、出演を検討する際に、まずは脚本の存在を前提に挙げている小松Pには共感を覚えます。

 さらに、座付き作家として言わせてもらえれば、脚本とはまさに構成の魔術です。「冒頭シーンを作るためには、そのシーンの台詞やト書きだけがあれば良いわけではありません」という小松Pの主張は、まさに脚本家の想いを代弁していると感じました。

 物語の全体像やバランスを考慮に入れながらも、なおかつ場面場面の瞬間性や瑞々しさを生き生きと表現できる女優に、今後益々成長していって下さい。

 


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