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著作権へのリスペクト(7)〜小松の主張〜

知的所有権、著作権について語り始めると、世の中に問いかけてみたい問題点が次から次へと頭の中に浮かんできて、収拾がつかなくなります。

このままでは著作権絡みの話題が永遠に続いてしまいそうなので、この辺りで強制的に区切りをつけることにします。


小松式演技論“著作権の章”の最終記事として、今日は著作権について今現在、私が感じていることや考えていることを思いつくままに書いてみます。

少し前の話になりますが、日本公開を控えてた映画がネットを介する形で公開前に流出し、その犯人が逮捕される事件がありました。
このニュースを知った時、私は本当に悲しくなりました。
その映画の監督や関係者を個人的に知っているわけではありませんが、いろいろなことを想像すると悲しくて仕方がありませんでした。


あくまで私の想像ですが、その監督は自分がずっと一生懸命頑張ってきて、努力してきた結果として映画が撮れるようになり、そこにたくさんのスタッフや役者が加わることで、その作品は生まれてきたのだと思います。それを第三者が勝手に公開するなど、断じて許される行為ではありません。そんなことができるその犯人は、いったいどういう神経をしているのか。


その監督自身がこの事件についてどのように考えているのかは分りませんが、もしも同じような被害に私が遭遇したとしたら、悔しさのあまり、涙が止まらなくなると思います。
自分や関係者が人生をかけて築き上げてきた作品を、すべて台無しにするような犯罪です。今思い出しても怒りと悲しみがこみ上げてきます。
ネット上の法整備はもちろんのこと、表現を志して頑張っている人たちの努力が報われるようなシステムを、私も私なりに模索し続け、積極的に提案していきたいと思います。


少し硬い話になりますが、私たちがこうして日々生活できることの土台には、社会的な恩恵が常に忍ばされているのです。
洋服を買えることも、食べ物を手に入れられることも、社会というシステムがあるからこそだし、それこそインターネットを便利に利用できることにも社会的な恩恵が大きく関わっています。

もちろん私たちはその恩恵を受け取る権利があるわけですが、それと同時に、社会的な義務や責任を果たす立場にもあります。

権利を享受するだけでなく、そこに付随する責任もしっかりと果たしていく。そういう世の中を築いていく為に私は表現者として作品を通していろいろなことを訴えていきたいと思います。

次回からは私がプロデュースする演劇ユニット『理想現実』について、いくつかのテーマで書かせて頂きます。