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著作権へのリスペクト(1)〜小劇場の無自覚、無責任〜


私自身の猛省を含めて書くのですが、小劇場界は知的所有権……特に著作権に対する意識レベルが低いように見受けられます。
著作権使用の手続きをせずに、既存の曲を劇曲として勝手に流したり、盗作ギリギリの脚本が普通に上演されてたりしています。
これでは、「小劇場の創作活動は、犯罪の上に成り立っている!」と糾弾されても仕方が無いとさえ思ってしまいます。
過去の自分を振り返れば、正直なところ、返す言葉が見つかりません。


他人の著作権を侵害する愚行(主に音楽の無断使用ですが)は、その作品を創作したクリエイターにも失礼だし、自分自身に対しても情けないと思います。
「自分たちの力で、より良い作品を創ろう!」という志があるなら、オリジナルの劇曲を用意すべきだし、それが叶わずに既存の曲を使う場合でも、著作権の使用料を納める誠実さは絶対に必要です。


小劇における著作権侵害の裏には、「面白ければいいじゃないか」という結果主義が見え隠れしているように思うのですが、その手のマキャベリズム的な考え方には、個人的には強い危惧を抱いています。
極端な例かもしれませんが、『結果が良ければ、それでいい』という考え方には、「利益が出るのであれば、汚染食材を売ってもいいじゃないか。
産地を偽ってもいいじゃないか」という社会的な無責任さを助長する側面があるように感じます。


結果だけに焦点を当てて、プロセスを不問に伏すのは非常に危険です。
結果として面白い作品ができたとしても、プロセスで著作権侵害をおかしているのなら、その作品を面白いとは言いたくないし、言えません。


私がそのような発言をすると、「だって、すべての芸術は模倣だろ?」という常套句を懐刀に、パクリや盗作を容認する諸先輩方も少なからずいます。ですが、その反駁はあまりにも短絡的です。
不勉強な私が書くのもおこがましいかもしれませんが、そもそも西洋芸術における模倣は『神(イデア)の模倣』であったり、『現実の模倣』であったりと、様々な解釈があります。
決して他人の作品を無断で模倣して、それで安易にお金を稼いでよいと言っているわけではないと思います。

第一、そのようなレトリック……言葉の使い方で問題の核心をごまかすこと自体がよくありません。
「そべての芸術は模倣」という主張があったとしても、他人の作品を盗むことは、明らかに悪いことです。
他人の権利を侵害することなく、自分の力で面白い作品を創ることこそがベスト。そのことを、私は言いたいのです。


もちろん、創作の過程において、既存の作品にインスパイアされたり、知らず知らずのうちに先達の影響を受けたるすることもあるでしょう。
そのことを否定するつもりはありませんが、私が義憤を禁じえないのは「思いつかない時は、どっからテキトーにパクッとけばいいや」という安直さであり、それを分かっていながら許してしまう小劇界の無自覚さです。