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役者と観客の関係(1)〜物語を届けるということ〜


同じものを観ても、人それぞれによって受け取り方は千差万別です。
「どういう風に観て欲しいか?どういう風に感じて欲しいか?」を、表現者側が観客に強制することはできません。
そのことを前提とした上で、私なりの観客論を語らせていただきたいと思います。


『演劇の魅力は、舞台と観客の一体感である』というフレーズをよく耳にします。
私の意見を率直に書かせてもらうなら、これは観客側にのみ許された感想であって、作り手側が口にする言葉ではありません。

観客の方々が「今日は舞台と客席が一体になっていた。素晴らしかった」との感想を抱くことは一向に構いません、しかし、作り手側が「今日は客席と一体になれた、大成功だ!」と自画自賛することには賛同できかねます。
というのも、様々な人間が観に来ている以上、その作品に不満を感じたお客様も必ず一人以上はいるでしょう。
そういう不満を黙殺して、「今日は客席と一体になれた」と作り手側が安易に口にしてしまうことは、あまりにも大雑把です。
私が大切にしている“真摯さ”や“誠実さ”とは逆行する言動です。


そもそも、『客席と一体になる』という考え方自体が曖昧で漠然とした抽象論である以上、それを拠り所に作り手側が己の作品を語ることに個人的には違和感を覚えます。

「客席と一体になる」という言葉を、「お客様全員に心から喜んでもらえる作品を創る」という意味に解するのであれば、その理想は私の中にも当然の如くあるし、目指すべき方向性だとも思います。ですが、それはあくまで観念論的な努力目標であって、現実的な稽古の物差しにはなり難いのです。

そのような『結果』を我々が『プロセス』として具体的に目指すことは不可能だからです。(※繰り返しますが、努力目標としての価値は認めています)
要するに私は、自分の表現を誰かのせいにしたくないのです。
「お客様に喜んでもらうために、こういう作品を作りました」などと絶対に言いたくありません。
第一、そんな責任逃れは、観に来てくださる皆様に失礼です。
観客のためではなく、まずは私自身が良いと思う作品を、私自身の責任において創ること、それが発信者としての責任ある態度だと私は思います。


誤解を恐れずに、その点をもう少し詳しく書くとすれば、「自分が狙っていなかったポイント」をお客様から評価されても、私は素直に喜べません。
もちろん「つまらなかった」と言われるよりはいいかも知れませんが、「役者が生き生きと楽しそうにやっているのが良かった」等の感想を頂戴すると、ありがたいと思う半面「訴えたかったのは、そこではないんです」と言葉を返したくなります。
「人間が一生懸命に何かをやっていること」自体に感動してもらうよりも、キャラクターを通して物語に染み込ませたテーマ自体を感じてもらいたいと常に頭を悩ませているのです。


もちろん、「どのように観るか?」を観客に強制する権利いはないし、テーマが明確に伝わらないのは自分たちの表現力不足であることも充分自覚しているので、精進あるのみです。